「何をするか」より「なぜそれをするか」を考えると、うまくいく思考パターンが身につく

「結果を出すためには、何をすればいいのでしょうか?」

「どうしたら、PVが増えますか? どんなコンテンツを作ればいいと思いますか?」

「○○さんは、いまどんなことをしてる(どんなサイトを作ってる)んですか?」

こんなふうな質問をときどき耳にします。私自信が直接訊かれることはほとんどありませんが、ネットを見ていると、そういう質問をする人が少なくないのに気づきます。

そうした質問の答えに、ハッとするような素晴らしいヒントがあるかというと、そんなことはなく、質問された人(たいていすでに結果を出している人)は、少し困ったように、「それは人それぞれだから…。」というようにお茶を濁している気がします。

彼らは、意地悪や出し惜しみをしているわけではなく、「その質問に対して適切な回答をすることが不可能」だとわかっているから、そうとしか言えないのではないかな、というのが私の考え。

少し厳しい言い方をするなら、「その質問では、答えることができない」というのが正しいかもしれません。

 

ここで、私が昔読んだ本の中に載っていたお話を紹介します。

アメリカの田舎に、若い夫婦が仲良く暮らしていました。夫の誕生日、妻は得意料理のローストビーフを作ったのですが、牛肉の塊をオーブンに入れる前に、なぜか塊の両端を包丁で切り落としました。それを見て不思議に思った夫は、「どうして端っこを切り落とすんだい?」と尋ねました。

すると妻は「知らないわ、だってお母さんもこうしていたから。」と答えました。

後日、夫婦が、妻の実家へ泊りがけで遊びに行ったときのこと、夫は気になっていたことを妻の母に尋ねました。

「お義母さん、どうしてローストビーフの端っこを切り落とすのですか?」

すると、妻の母は言いました。

「あら、どうしてかしら。私の母も同じようにしていたから、私もこうしているの。」

いよいよ気になって仕方のない夫は、妻の祖母を訪ねていって質問しました。

「おばあちゃん、どうしてローストビーフの端っこを切り落とすのですか?」

すると、妻の祖母はにっこりと笑ってこう答えました。

「それはね、昔のオーブンは小さくって、そのままだと入らなかったからですよ。」

 

「何をするか」だけを見ていると、本質を見失う

上のお話に出てくる妻、そしてその母は、祖母が「何をするか」は見ていました。でも、「なぜそれをするのか」を考えなかったのでしょう。よくわからないけれど、おばあちゃんも端っこを切り落としていたから、同じことをしておこう…と。

でも、もし「なぜ塊の端っこを切り落とすのか」という理由、なぜそれをするのかという根拠に思いを巡らせたら、気付くことができたかもしれません。(おばあちゃんに直接訊いてもよかったでしょうし、想像だけでも答えに近づけたかもしれません。)

人は、無意識のうちに「これはこういうものだ」と、理由もわからずに思い込んでしまうことがあります。ですが、このお話のように、「これはこういうものだ」と思っていたことが、実はまったく意味のないことだった、という場合もあるのです。

「自分には何もとりえがないから、能力を生かした仕事なんてできるわけない。」とか、「自分には小さな子がいるから、自分自身の生活を楽しむなんてとても無理。」とか、「自分は太っていて見た目が良くないから、異性に愛されるはずがない。」とか、「自分ひとりが何かをしたところで、世の中が変わるわけじゃない。」とか。

それって、実はローストビーフの端っこのお話と一緒で、単なる自分ひとりの思い込みに過ぎないのかもしれません。

個人的には、このことは、サイト運営にも、アフィリエイトにも、ひいては人生にも当てはまることだと思っています。

結果を出している人を見て、羨ましく思い、憧れ、自分もあんなふうになりたいと思う、その気持ちはよくわかります。でも、その人たちのしていることを真似るだけでは、その人たちと同じ思考パターンを身につけることはできません。

「学ぶ」という言葉は、「真似る」から来ていると言います。丸々コピーは言語道断ですが、先人のなしたことに影響を受けない人なんていません。それでも、真似るのであれば、表面的なこと(何をするか)ではなく、本質的なこと(なぜそれをするのか)を真似て、自分のものにしていけば、結果は変わってくるはずです。

表面的なことは応用がききませんが、本質的な部分は、自分の中で変質させて、さらに良いもの、自分に合ったものに進化させることも可能です。

「それってアリなの!?」は柵の中の思考

長くなりましたが、ここでもうひとつ、お話を例に挙げます。かの有名なコロンブスの卵のお話です。

ご存知の方も多いと思うので簡単に書きますが、大陸発見なんか(船さえ進めれば)誰にでもできたことじゃないかと言われたコロンブスが、テーブルの上のゆで卵を取り出して、「誰かこれを立てることができる者はいるか?」と尋ねました。

だれもコロコロと転がる卵を立てることができないでいると、コロンブスが卵の尻を叩いてつぶし、立てて見せた・・・という逸話ですね。

「誰にでもできそうなことでも、最初に行うのは難しい」という教訓を含むお話だと思いますが、その場にいたコロンブス以外の人たちは、きっとこう思ったのではないでしょうか。

「ずるい、それってアリなの!?」と。

コロンブスは、「卵の尻を叩いてつぶしてはいけない」とは言いませんでした。なので、この方法はルール違反ではありません。にもかかわらず、ほかの人たちが「それってアリなの!?」と思ったのは、コロンブスのやったことが、彼らの思いもよらないこと(想像すらできないこと)だったからでしょう。


牧場の柵に囲まれたエリアで暮らしている羊たちは、エサとなる牧草もあり、仲間もいて、それなりに平和に暮らしているかもしれませんが、彼らに見えている世界のすべては、柵の中です。その柵の外にもっと広い世界があり、草原をずっと行くと川があって、川を下って行くと海があるかもしれない。そういったことを、想像すらできません。

誰かがやっていること、あるいはやったことを見て、「それってアリなの!?」と感じたことのある人は、柵の中の思考に凝り固まっているかもしれません。

同じ柵の中に生えている草花を見るのでも、柵の中にいて見るのと、上空から見下ろすのとでは、見え方がまるで違います。柵に囲まれた小さな場所の中だけを見るのではなく、高いところから全体を見られるような視点を得て、それを持ち続けること。

これは、私自身の今後の課題でもあります。

「何をすればいいのでしょうか?」「どんなコンテンツを作ればいいと思いますか?」「○○さんは、いまどんなことをしてる(どんなサイトを作ってる)んですか?」

これらの質問は、安易ですが、解答を得られない質問です。その質問をしている時点で、相手に「この人に説明しても表面的な部分しか伝わらないだろうな。」と思われてしまっている可能性が高いからです。

人に質問をするのなら、「○○さんは、なぜここをこうしているのですか?」「こういう理由で、こういうことをしようと思っているのですが、どう思いますか?」、こういう質問をしたいものです。(もちろん、自分なりに頭を使って考えた上で、ですよ。)

 

「なぜそうするのか」を考えず、ただ行為だけを真似るのは、近道のように見えて、実は気の遠くなるような遠回りです。柵の中の視点ではなく、高いところから全体を見下ろすような視点を持ち、結果を出している人が「なぜそうしているのか」を考えるくせをつけると、うまくいく思考パターンが身につくと、私は思っています。

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