人は文章に自分との共通項を見出すと、”自分事”に置き換えてイメージできる

目に映っているものと認知しているものの違い

目の前に見えている現実世界はだれにとっても同じもので、「ある人には見えるが、ある人には見えない」ものなんて、幽霊でもない限りあるわけない、と思いますか? 

しかし実際は、「目に映っているもの」と「認知しているもの」の間には、大きな差があります。

例えば、あなたの家の近くの交差点。そこに見える信号機、横断歩道、郵便ポストや街灯は、物理的にはみんなに見えているはずですが、小さな子どもに「あそこの交差点の郵便ポストにハガキを投函してきて」と頼むと、「あそこに郵便ポストなんてあったっけ?」と言うことがあります。

何度もその郵便ポストを目にしてきたにも関わらず、それまでポストに用がなかったその子どもは、ポストの存在を認識していないのです。

もうひとつ別の例を挙げましょう。

特定の車種のくるまを買おうかどうしようかと考えていると、そのくるまばかりをやたらと街中で見かけて、「このくるま、最近よく見かけるな、やっぱり人気があるのかな。」と思ったことはありませんか。私はあります。

実際のそのくるまの売れ行きはさておき、あなたがそのくるまに興味を持っているからこそ、そのくるまが目に入った(=認知した)可能性は大いにあります。要するに、そのくるまは、あなたの心の中と現実世界との「共通項」なのです。

(たぶん、同じ光景を見ていても、違うくるまの購入を検討している人には、違うくるまばかりが見えているのではないでしょうか。)

同じ理屈で、あなたの書いた文章も、読み手とその文章の間に何らかの共通項があれば、読み手は自分事に置き換えて、イメージしながら読むことができます。

(まったく共通項がないと、日本語としては理解できても、さらっと字面を撫でるように読むだけで、心には引っかからず、何の読後感も残さないことが多いでしょう。私はそういう文章を”ツルッとしてる”と感じます。)

共通項とは、多くの人が知っていること・経験したことのある感覚

共通項として使いやすいのは、多くの人が知っていることや、経験したことのある感覚です。

日本人になじみのない国のある料理を表現するのに、聞いたことがないスパイスや調理手順を事細かに説明するよりも、「この料理は、日本人にとっての肉じゃがのような、ほっと落ち着く家庭の味」「おめでたいことがあったときにこしらえる特別なごちそう」と書いたほうが、その料理の輪郭やその国の人々にとっての位置づけが浮かび上がってくるのではないでしょうか。

読み手が知らない場所、読み手が食べたことのないもの、読み手が使ったことがないものについて書くとき、ただ目に映るもの(事実)を列挙していくだけでは、読み手との共通項を浮かび上がらせることはできません。

(特に女性はスペックを説明されてもピンとこない人が多いです。)

対象物と、読み手が知っているもの・経験したことのある感覚との間の共通項を探し出し、それを表現することで、初めて「多層的」な文章になると私は考えています。

(「多層的」=読み手の知識や経験が違っても、それぞれの読み手がそれぞれの立ち位置で理解することができるもの。前知識なしに浅く読んでも楽しめるが、読み手の成熟に従ってより深い意味を持つもの。

河合隼雄氏は「優れた物語は多層的である」と言いました。例えば、サンテグジュペリの『星の王子様』は、子どもでも読めますが、大人になってから読むとまた違う感じ方ができる、多層的な物語の代表作だといえるでしょう。同じようにウェブの文章も優れた文章は多層的だと私は思っています。)

共通項というと、大げさで見つけにくく感じてしまうかもしれません。

でも、例えば、冬の寒い夜に家族で食卓を囲んで、お鍋の蓋を開けて湯気が立ち上る瞬間、北風に吹かれながら家路を急ぐときに路地で漂ってくる煮物の匂い、寝ている幼い子どものほっぺの丸みとすべらかさ、干した布団にほのかに残るお日さまの匂いと温もり……。

これらの情景は、多くの人に「家族団らん」「温かい家庭」「郷愁」「懐かしさ」「愛おしさ」「可愛さ」「幸福感」を連想させるのではないでしょうか。

あるいは、小説や映画で、主人公が飲み終えたビールの空き缶をクシャッと握りつぶす描写から、彼・彼女が抱える「やりきれなさ」「苛立ち」が見て取れることもあるでしょう。

今の30代~40代以上の人であれば、携帯電話やスマホがなかった中学生や高校生時代、好きな人の家に電話をしてお母さんが出て取り次いでもらうときの緊張感にも、身に覚えがあるかもしれません。こうした感覚も、同じ経験を持つ同世代の人にとっての共通項ですね。

読み手との共通項を意識して文章を書こう

つまり、読み手との共通項となる表現を用いれば、「おいしい」という言葉を使わずにおいしさを、「かわいい」と書かずに「かわいさ」を、「やりきれない気持ち」と書かずに「やりきれなさ」をイメージしてもらうことが可能なのです。

このことは、体験談やレビューを書く際に、大いに役立ちます。

レビューをするときに、必ずしも対象物(施設、場所、モノ、サービスなど)の専門家である必要はありません。

読み手と対象物の間の共通項を丁寧に表現し、「これはあなたと関係のあるものですよ」というメッセージを伝え、「その対象物を購入・利用したときの未来」をイメージさせることができたら、読み手の「あ、これいいな。」「欲しいな。」「買おうかな。」という気持ちを引き出せるのではないでしょうか。

とあるビデオカメラのスペックを詳しく説明できなくても、「デジモノに詳しくない私にも扱えて、ズーム機能でわが子の運動会の様子をアップで撮影でき、ゴールの瞬間の得意そうな表情を残せた」「操作がシンプルだから、機械オンチの高齢の母にもビデオ係を任せられて、親子競技の様子を撮ってもらえて一生の記念になった」という体験談は、読み手の心を動かします。

とある食器洗浄機のスペックを詳しく説明できなくても、「食洗器を導入したことで、夕食後の家族団らんにママも加われるようになり、幸せな時間が増えた」というレビューは、読み手に”自分事”として未来をイメージさせます。

個人的には、私との共通項を多く含むレビューを読むと、その対象物への興味が強まるのと同時に、その文章の書き手に対しても「この人はわかっている!」と好意を持ちます。そして、その人の書いたものをまた読みたくなるのです。

人は文章に自分との共通項を見出すと、”自分事”に置き換えてイメージできる。

このことを意識して、あなたが文章を読んでほしい人と、その文章との間の共通項を探してみると、より読み手の心を動かす文章が書けるかもしれません。

  • はてなブックマークに追加